備忘

内田貴法科大学院は何をもたらすのかまたは法知識の分布モデルについて」『UP』402号(2006年4月)27〜33頁。
読んだのはもう1週間くらい前だったと思う。コメントを書くつもりだったが、いろいろとあって結局そのままにしてしまった。この論文の存在を忘れないように、ただ書き残す。
法科大学院と法知識の分布がどのような関係にたつのだろう。内田は「現在はまだ社会に多数拡散している法知識は、今後、法科大学院が定着するなら、次第にその質を低下させていくだろう」と予測する。法科大学院の設置によって、日本社会は法知識についての集中型社会へと転換すると考えているようだ。だが、はたしてそうだろうか。そんなに単純な問題ではないのではなかろうか。
ざっと思いつく問題点を列挙してみよう。第1に、法学部の存続をどう考えるのだろうか。米国には法学部は存在せず、法律を学ぶためには、ロースクールに行くしかない。だが、法学部が存続する日本では、法科大学院に行かずとも、法学部で法律を学んだ人はこれからも出てくるはずだ。ようは、法科大学院によって法学部がどのような変容をせまられるのかが問題になるのだろう。
第2に、公務員試験の中心がこれからも法律の試験にあるのだとすれば、直接には法的リテラシーの低下には結びつかないのではなかろうか。法学部の存在を前提にすれば、法科大学院の有無にかかわらず、公務員のリクルート方法さえ工夫すれば、現状の法的リテラシーを保つこともできるのではないか。ようは、公務員試験の位置づけの問題なのだろう。
第3に、現状の制度では法科大学院を修了しても法曹資格がとれない人が出てくることをどう考えているのだろうか。この層が従来と同様に、法曹以外の職業に流れていく可能性はやはり多いといえるのではないか。ようは、法科大学院と法曹資格の結びつきの問題である。
第4に、法曹資格者が法曹以外の職業に流れる可能性はないのだろうか。これから法曹資格者は増えるのだから、場合によっては法的サービスの供給が需要を上回ることも考えられる。もしそのような事態になれば、法曹資格があるからといって、法曹につくことが合理的な選択ではないかもしれない。法曹資格者が法曹以外の職業に流れるようになれば、従来と変わらない運用ができるかもしれない。ようは、法曹資格と法曹との結びつきである。
内田の視点は面白いと思う。だが、この視点はもっと深められるのではないかと思う。時間を見つけて、もう少し整理して考えたい。