連続か切断か。歴史の説明の際に用いられたりするが、両者の区別が実際に流れている時間に存在するわけもなく、ようは説明の便宜にすぎない。仕事場の変更が連続か切断か。時間がたてばわかるのだろうが、時間の経過の瞬間には、連続も切断もない。
学問というものは、多くの場合、無意味なものに意味を見出す作業ではなかろうか。学問の対象それ自体はとらえようもないものである。そのなかに、何らかの特色を見出して、あるいは補助線をひいてしまって、意味を見出すのが学問であろう。
無意味なものをただ無意味であるとして感知しないのか、はたまた無意味なものを追い求め、全く無意味な意味を見出すのか。両者の区別も、説明の便宜にすぎないのか。