可能性は自分で切り拓くものであるが、その際のさまざまなコストもまた自分で背負い込むことになる。将来の見通しがきいていないときには、コストはさほど大きくないが、目の前に一見順調そうに見えるレールがひかれているときにはそこから抜け出すのは逆にたいへんな苦労になる。
しかし、レールをただひたすら走ることだけが、本当にコストを最小化しているとはかぎらない。レールが見えると、そこで思考をショートカットしてしまう。一般的には合理的な判断だが、ときにそのヒューリスティックスは非合理な結果をうむこともある。他にもっとよい道があるのかもしれない。だが、毎度毎度検討するのは、思考の浪費である。
結局はタイミングなのである。思考を働かせねばならない瞬間を逃さずに、そこで真摯な検討をすることが、可能性を切り拓くということなのだろう。私にとって今はそのときではないと思うが、このタイミングの判断が正しいのかどうかは、時の経過がいずれ教えてくれるだろう。