友人の結婚式。昨月・今月と2ヶ月連続で、新郎新婦双方が友人という組み合わせ。前回は後輩と後輩。今回は同期同士。長い交際を経ての結婚なわけで、私なりに思うところがあったりもする。
人生は選択の連続なのだが、その無数の選択にも節目がある。あとから振り返るとどうしても、「あのときに別の選択をしていれば」と考えてしまう。幸福は一義的に決められるわけでもなく、しかも回顧的にしか規定できないのだとすれば、結局、決断のときとは暗闇への跳躍なのだろう。だが、回顧的な展望とて、その跳躍の待つ先の暗闇にある現実は知っているが、ありえた別の跳躍に何が潜んでいるのかはわからない。何がよいのかなんて、誰にもわかるはずもない。
とはいえ、友人にひとつの幸福のかたちを見せられると、自分の現状から回顧的に過去の跳躍を見直したくもなる。たとえ回顧的な展望に結局のところ何の意味を見出せないとしても。別の道にはまた別の何かが潜んでいるはずである。その別の何かが何なのかはわからないが、少なくとも実際にたどった道にあったものがそこにはない可能性がある。その実際にあった何かについて、どうしてもぬぐいきれないものがまだあるのだろう。それが、徒労な回顧に向かわせるのだ。