ダリ回顧展へ。平日というのに混んでいる。
美術はよくわからないが、見るのは自由だ。個人的に良いと思えばそれで十分だし、それ以上のものを求めるつもりもない。結局、私は美術に頓着がないのだろう。
「平均的官僚」という題の絵。色合いがなんとも官僚への皮肉を思わせる。そして、「官僚のフロイト的肖像」。官僚の頭に引き出し、中は空っぽ。空っぽのメッセージよりも、引き出しのメッセージを強く感じてしまう。頭にいろいろと詰め込み、必要になったら取り出して使う。新しいものをそこに入れて、古いものは捨てていく。行政を担う官僚は、やはりそういう知識の整頓と消費が大事なのだろう(もちろん追加しなければ本当に空っぽになる。ダリは空っぽを強調したいのかもしれないが)。ダリの官僚イメージにそんなことを考えた。
自分自身を振り返ると、この官僚的生き方をどこか嫌ってきたのだろう。知識の消費になんとなく違和感をもつ。知識は蓄積してこそ価値があり、熟成させるべきなのではないかと。詰め込み教育という言葉を嫌い、官僚を批難の的にする日本社会の風土らしい考え方なのかもしれない。そしてその結果が高等遊民ニート問題の根も、結局はこの日本の風土にあったりして。