読了

森田朗会議の政治学』慈学社出版(2006) ISBN:4903425096
「本書は、そもそもは退屈でフラストレーションの溜まる会議の最中に、会議の退屈な理由と運営の効率化の方法について考え、作成したメモが出発点である」。退屈な会議は誰でも経験があろう。そこでただ居眠りするのではなく、なぜ退屈かと考えたところが著者の面白いところ。もちろん、考えること自体は誰でもできる。しかし、それが一冊の本になるなんて、なかなか思わない。
第1章は座長・委員の立場(会議の政治学)から、第2章は事務局の立場(会議の行政学)から、第3章はメディアとの関わりについて(会議の社会学)述べる。文章にも経験が滲むのか、第1章がもっとも面白い。
さて、もしこの本を読み終えたなら、別の楽しみ方をおすすめする。この本には「索引」がついているのだが、これがなかなかのものだ。試みに索引2段目の項目を列挙しよう。

意見主張のテクニック、意見陳述、一事例の一般化、一括した承認、一貫性と風格、イヤガラセ、インターネット・ニュース、「裏方」、映像による情報伝達、演出、応援団、「脅し」、落としどころ、オフレコでの審議の困難さ、「お守りをする」・・・

はたしてこれらの言葉を索引で探す人がいるだろうか。「イヤガラセ」について調べようと思えば、なんと書かれたページがすぐにわかってしまう。どういう意図で作られた索引なのか。なかなか乙だ。
では、早速「イヤガラセ」について調べてみよう。これは、少数派の委員が、資料によっては自己の主張を正当化できない場合についてどうするか、という文脈で登場する。

・・・それでも降参したくない少数派の委員は、ときに審議の引き延ばしやイヤガラセと思われるような抵抗をすることがある。
その方法としては、・・・

すばらしい。「イヤガラセ」の手法を紹介してくれる。この索引は、会議で「イヤガラセ」をしたい人のために用意されたのかもしれない。
「イヤガラセ」をしたなら、もはや「徹底抗戦」、「多数派との刺しちがえ」も辞さない、と考えませんか?この2つもしっかり索引におさめられている。これは、会議が全員一致で進まない場合の少数派について述べるところで出てくる。

・・・少数派が、自爆覚悟で徹底抗戦を試みる場合である。
(中略、徹底抗戦の方法を若干述べる)
さらにそれが高じれば、審議に欠席するというストライキ戦術もある。・・・要するに、これは、会議を粉砕し、多数派と刺しちがえる戦術にほかならない。
そして、最後の手段が、委員の辞任である。・・・

そうか。最後は辞任か。なるほど。
しかし、世の中戦う人ばかりではあるまい。会議はやはり1分でも早く終わって欲しい。と思ったら、「早く終わる会議はよい会議」という項目もある。これは、事務局の「ご説明」がうまく行き過ぎた場合の警告として登場する。

・・・本書の冒頭で「早く終わる会議はよい会議」であると述べたが、ろくに審議もせずに終わるのでは、何のための会議か、会議そのものの存在意義を問われることになりかねない。ときに根回しが効きすぎると、かえって座長が困ることになるといえよう。

会議はやはり難しい。長い会議は困るが、早すぎるのも困る。結局何が悪いのか、「責任者の糾弾」をしたくなる。これは、メディアがどのように見解を主張するのか、という文脈だ。

そこからときおり生じてくるのが、争点の単純化と責任者の糾弾というパターンである。・・・時代劇にみられるような、人に帰責する勧善懲悪的主張は、必ずしも根本的な問題解決にはならない。

すいませんでした。