人に教えることによって、新しい理解へ到達することができる。受験国語を教えるのは先月からだったが、このたった10回強の授業が、自らの受験国語理解を深めた気がする。実際に自らが受験国語を学んでいたのは、もうずいぶんと前の話だ。だが、その当時の理解というのは、なんとなく覚えているものだ。知識として蓄積されているというよりは、感覚として身体に残っているというべきだろうか。この感覚が、教えることを通じて、また活性化され、新たな段階へと導く。
ひとつ段を昇れば、また違った景色が見える。別の道と理解していたあの道が、いつの間にかつながっていたりする。あの道からは見えなかった景色が一望できたりもする。景色の奥には何があるのかわからないが、新しい世界というのは、それはそれでよいものだ。
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