読了

日高敏隆竹内久美子『もっとウソを!』文春文庫(2000) ISBN:4167270064
師弟対談。裏表紙の内容紹介欄をみると、性の話ばかり語っているようにみえるが、本対談の中心は「科学とは何か?」である。第1章・第2章は性の話中心になっているが、これは本論たる科学論の導入という位置づけなのだろう。たぶん、多くの読者には読みやすい導入になっている。
第3章が本論で、テーマは「科学とはウソをつくことである」。日高は「科学が常に真実を語るということはないわけで、そのときまで正しいと思われていた、あるいは正しいんだと皆が説得されたものが通用してるだけ」であり、「科学の面白さはそこにこそある」という。また、「科学は真理を探究する」という言い方に「信仰のようなもの」を感じ、「日本ではとくに科学を権威的に祀り上げる人が多い」ことをとらえ、あえて「科学とはウソをつくことである」と述べる。
結局、科学といってもそれは説得の過程であって、絶対的なものではない。とすれば、問題は説得されたかどうかであって、それ以上のものではないというのは当然だろう。だが、反論可能性がないものを科学といってよいのかどうか、少し気になる。もちろん所詮定義の問題なのだが、世界観を提示するような面白いものは、どうしたって反論可能性に乏しい。それが科学の醍醐味だというのもわかるが、少し危険なにおいも感じる。
だが、この危険なにおいというのは、科学が説得の過程であることからくるのだろう。反論可能な部分なんて、よく考えれば些細なことなのかもしれない。もちろん、その些細なことひとつひとつが、全体を考えるうえで意味をもってはくるのだが、その小さな積み重ねひとつひとつが反論可能であったとしても、全体的な世界観が反論可能になるわけではない。ようはどちらが大事なのかという問題なのだろう。反論可能性にとらわれるのは、大きなものを見失っているのだろう。木を見て森を見ていないのだ。
以下の章にも、科学に関する著者のものの見方は強くあらわれる。自分のなかにいつの間にか築き上げられていた壁が少し崩れた気がする。