結局、当初やりたかったことの半分もできなかった気がする。そして、少なくともこれだけはしたいと思っていることが全部できるかどうかも微妙な感じだ。
はじめから全部できるとは思っていなかったとはいえ、やはりこれは計画ミスだろう。不十分だった部分を埋めるのに、思ったよりも時間がかかったのが原因だと思われる。しかし、不十分だったところを埋める作業は、必要なものだったと信じたい。ただ、一番いけないのは、その作業が終わったあと、1週間弱ほど気を緩めてしまったことだ。
今は完全に追い込まれた状況だが、依然調子に波がある。何度か書いたが、まだ実感がないのかもしれない。ときどき実感があるのかもとは思うが、それに持続力がない。それでも調整を続けるしかないのだが。
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つまりは気持ちで負けているんだろう。今一番足りないものは執着心なのかもしれない。何が何でもという雰囲気がない。
高くない士気を補填するだけの何かがあればよいが、どうだろうか。すべては結果となる。
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レールの先に見えるものが恐いのかもしれない。しかし、レールを一度はずしたからといって、何が変わるわけでもない。ただ何かに不満なのだろう。
自分のなかでまだ一歩ひいたところがあるのか。いつまでも同じ時が繰り返すものでもない。閉じられた系から外に一歩踏み出すことは、それだけの不安を伴う。責任を背負うだけの自信がないだけなのかもしれない。
自己正当化、合理化というのは、それ自体決して悪いことではないと思う。だが、それが進歩から遠ざける方向に働くだけならば、何もよいことはない。そろそろ前を向くべきなのだろう。だが、現状において、前を向かせるだけの何かがない。
生きるということは辛いことだ。しかし、それだけではない。だが、閉鎖系からの開放の瞬間において、はたして辛苦以外の何が見えるというのか。