ヤマをはる、という試みはあまりよい意味で使われていない。しかし、ヤマをはるということは、本質的には決して好運に期待しているというものではないはずだ。ヤマをはるためには、それなりの土地勘が必要であろう。何の感覚もないところにヤマをはれといわれてもはれるわけがない。ヤマをはるためには、それなりの訓練が必要である。
ヤマをはってもしはずれたらどうするのか、と問われることがある。これは根本的な勘違いである。ヤマをはるということは、もしはずれたらどうするかということまで考えて行うべき作業である。あたればよいなあ、という願望はヤマではなく、ただの祈りである。ヤマをはるためには、はずれたときにもそれなりの対処ができるだけの度胸が必要である。
因みに、ヤマをあてることは、実はそれほど難しいものではない。どういうヤマをあてたいのかにもよるが、緻密に分析を重ねれば、そうそうはずすものではない。たとえはずしても、だいたい何らかの形でかすっているものだ。また、複数の予想がたつならば、ヤマをひとつにしぼる必要はない。たくさんヤマをはれば、ひとつくらいあたるものである。
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どうも眠れないのではないかと気づいた。隣室のテレビの騒音があり、慣れない耳栓ということもあるだろうが、よく考えれば、騒音のない日でもやっぱり眠れていない気がする。なんだかんだいっても、身体には緊張感がでてきているのかもしれない。もしそうだとすれば、眠れないことは短期的には憂慮すべきことなのだが、もう少し長い眼で見ると、感覚がついてきた証拠かもしれない。だとすれば、別に悲観することはなく、ただ調子をととのえていけるようにすればよいだけである。少々体調を崩したところで、それに影響をされるようならばどうしようもないわけで、大切なのは感覚を大事にすることの方だろう。
「本番に弱い」という言い方があるが、それは適切な表現ではないと思う。本番に力が出せない以上、いくら過程が立派であっても評価は望むべくもない。結果で評価されるものに対して、いくら過程を主張したって全く意味はない。結果で評価されるのがわかっているのならば、結果で勝負しなければ勝利はありえない。
今の私の場合、少々体調を犠牲にしても、感覚を得たほうが、結果に結びつくと思われる。体調がいくらよくても内面的・精神的なコンディションがよいかといえば、両者はやはり別の問題だろう。もちろん、体調も良ければその方が望ましいが、結果に直接結びつく、すなわち本番において、最後に頼りになるのは、内面的・精神的な問題の方だろう。