読了

山田晟『立法学序説』有斐閣(1994)ISBN:4641027129
法律学者による立法過程論。著者は立法学の体系を明らかにすることを目的としており、著者の考える体系は、立法機関論、立法政策論、立法過程論、そして法令・条文の書き方である。同じく立法過程を扱った岩井の著作とは全く趣きを異にする。政治学者と法律学者の関心の差であろう。
しかし、「心ならずも漫論的なものにならざるを得なかった」と著者が述べるように、議論の深みはそれほどでもない。法律学において、「解釈法学に比して未発達な部分」であり、やむをえないところであろう。
著者の意図には反するかもしれないが、本書で最も面白く感じたのは、付録である第10章「比較法学における内外人の「感覚」の差異について」である。著者はドイツ法を専門とする比較法学者であり、これは比較法学からみた文化論である。各国の「感覚」の差異というものが、法律や判決にどのような影響を与えているのかという問題について、わかりやすい文章で述べられている。「感覚」の差異が法律・判決を読む際に重要だという著者の指摘はもっともだろう。しかし、それは「感覚」が法律や判決を作り出しているということにほかならない。すなわち、法律や判決を理解するには、単なる法律学の議論だけでは不十分であるということになろう。
法律学を学び始めた人にとって、これはとんでもない結論にみえるかもしれない。しかし、よく考えてみれば当たり前のことである。法律学を学んだ者にしか理解できない法律や判決が社会で機能するだろうか。社会の大部分は法律学とは無縁の生活をしているのだから、そんな法律や判決は社会の大部分にとって無意味とならざるをえないだろう。
だからといって、法律学は無意味なわけではない。「感覚」を基礎に作られた法律・判決も最終的には法律学の議論の助けをえて、十分な機能を果たすことになる。法律学というのは、その最後の一押しにすぎないわけで、法律学だけですべてが片付くことなどあるわけがないのである。