昭和の日。国民の祝日に関する法律祝日法)が2005年に改正され、去年まで「みどりの日」であった4月29日が「昭和の日」となった。「みどりの日」は5月4日に移動。
さて、祝日法2条によると、「昭和の日」は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」とある。しかし、「昭和の時代を顧み」というのは、まさに「激動の」昭和を生きた人ならば、いろいろと思うところがあるだろうが、たとえば平成生まれの人は困るのではなかろうか。いま、「激動の日々を経て、近代化を遂げた明治の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」として11月3日を「明治の日」にしても、多くの人は不思議に思うだろう。とすれば、昭和を少しでも生きた感覚の人がいなくなれば、「昭和の日」はいったいどうなるのだろうか。法律で「国民の祝日」を定める以上、後の世代にも共感がわきやすいものにすべきではないか。中村草田男が「明治は遠くなりにけり」と詠んだのは昭和6年のこと。いまや平成19年。時の流れは昔より遅くなっているだろうか。明治天皇誕生日が「文化の日」となったように、昭和天皇誕生日が「みどりの日」でもかまわなかったのではないか。(なお、「文化の日」は直接には日本国憲法の公布日。)
日本近現代史において、「昭和」はまさに「激動の」時代だった。金融恐慌に始まり、満州事変、5・15事件、2・26事件、日中戦争、そして第2次世界大戦。敗戦後は、占領期の改革を経て、高度経済成長を遂げる。国際的には冷戦の勃発、そして昭和の終焉後、冷戦も終わりを迎える。それを記念すること自体に反対する理由もない。だが、なぜ昭和も遠くなったこの時期なのか。