半年間、塾で国語を教えて、考えた。入試国語を解くとは、いったいどういうことなのだろうと。
多くの入試問題は、傍線部について説明を求めたり、理由をたずねたりするものだ。こういう問いには、いったいどういう態度で答えればよいのだろうか。正攻法は、与えられた文章の趣旨をくんで答えるのだろう。私自身はそうやって解いてきたし、それがいちばん解きやすいとも思っている。だが、今回教えた数人の生徒たちをみていると、こういった解き方をしない生徒が目立った。彼らは、傍線部を読み、その周辺だけを読んで答えている。実際、この方法で解けてしまう問題は多い。
しかし、傍線部だけ読んで、それがはたして読解力なのか。傍線部だけ読んで、与えられた問いに答えることで、いったいどういう能力をみたいのか。それがよくわからない。文章全体を読み、筆者の主張を理解することが目的であれば、傍線部だけ読むことの意味はない。いったい何をききたいのか。
もし、出題意図が、傍線部だけを読ませるものではないならば、傍線部だけ読んで答えられる問題はできるだけ出題しない方がよい。そして、仮に全体を読まなければ解けない問題であったとしても、筆者の主張から驚くほど離れた問いを作っているところもある。これも、筆者の主張を理解することが目的ならば、やはり出題すべきではない。
次のステップに進むには、入試という関門をくぐらねばならない。ならば、関門を突破する方法を教えざるをえない。とすれば、もし傍線部だけ読んで解けてしまうならば、その方法を教えた方がよいのかもしれない。結局のところ、教育方法は入試問題が規定する。入試問題がかわらないかぎり、教育方法も変わらない。