読了

能登路雅子『ディズニーランドという聖地岩波新書(1990) ISBN:4004301327
もう15年以上前に書かれたディズニーランド論。著者は東京ディズニーランド・プロジェクトに嘱託社員として参加した経験もある文化人類学者。なお、本書で扱われるディズニーランドはアメリカのディズニーランドであり、東京ディズニーランドではない(最終章で若干触れてはいるが)。
本書の特色は、ディズニーランドを通してアメリカ文化を考察しているところにある。東京ディズニーランドに携わったからといって、内部情報が記されているわけではなく、純粋に文化としてディズニーランドを論じている。
著者のたどり着いた結論が題名である。すなわち、アメリカ人にとってディズニーランドは「聖地」なのだと。「自分たちの文化や理念を最もシンプルに、かつ誇らしげに表現した場所」であるディズニーランドは、「共通の伝統や歴史感覚の欠如した」「種々雑多なアメリカ人たちを統合する場」としての効果的な文化装置だという。著者の主張はなかなかに面白い。
本書が書かれたときには、まだ東京ディズニーランドしかなかった。著者は東京ディズニーランドを「精神性をともなわない巨大な娯楽・消費空間」だという。現状をみるに、その「巨大な娯楽・消費空間」は成功をおさめている。アメリカとは異なり、そこに「聖地」としての意味はないにしても。だが、それに比べて他のディズニーランドはどうだろうか。パリ、香港、どちらも行ったことはないが、業績不振だという。
「聖地」としてのディズニーランドを強調すれば、浦安での成功が不思議に思えてくる。日本で成功した理由は何だろうか。精神性から切り離されたディズニーランドにはいったいどんな文化的意味があるのだろうか。