社会生活の潤滑油として根回しは意味をもつ。それが日本的であろうがなかろうが、現実社会において摩擦を避けたければ、根回しは形はどうあれ必要だ。油切れのひずみを他人に押し付けるながら生きていくのは、なんと幸せなことか。
社会が生じるには最低1人の他人が存在する。そして人の数だけ、その社会に対する意味づけも異なる。自己の意味づけを絶対視すると、他人に生じたひずみがひずみに見えないのだろう。
他人のひずみにも気をかけられるようにならないと。