論理とは感覚の下僕である。学問とは、下僕なる論理の、壮大な、しかし孤独な叛乱の試みである。
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ところで最悪の事態は避けられそうな気はするが、これは負け戦になりそうだ。敗戦濃厚な初戦をいかに戦って、次の日以降に備えるかが、やはり問題だ。初戦をうまく負けることができれば(もちろん、勝てればそれが一番よいのだが)、次の日以降に望みをつなぐことができる。そのとき大切なのは、やはり次のステージをいかに勝つかであろう。
しかし、負け戦を少しの奇蹟の可能性に託して戦うのは、なかなかに面白いのだが、勝たなければならない戦というものは、心理的にも難しいものがある。とはいえ、こうなってしまえばあとはいかに楽しむかがすべてだ。
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因みに、初日の基準値は50パーセント、目標値は60パーセント、奇蹟がおこったとしても80パーセントは難しく、せいぜい70パーセントと思われる。この数字は、結局大敗前に言っていたものと変わらなかった。準備のタイミングが若干狂ったとはいえ、よく考えれば戦局は予定どおりに進んでいるともいえる。