自分のペースを守ることは思いのほか難しい。長距離走を想定して考えよう。長距離走は、それがレースであるかぎり、他人との比較が生じる。他人と比べて、いったいいま自分がどのような場所にいるのか、誰しも気になる。そこで、任意の誰かに大きく遅れていたことに気づいたとしよう。そのとき、どうすればよいのか。その誰かに追いつき、その人のペースに合わせて今後のレースを展開していくのがよいのだろうか。しかし、もし追いつくだけの体力がなかったら、また、追いついたとしてもその誰かのペースについていけなかったら、余計な体力消耗によって、結局順位を下げるだけになるかもしれない。だからといって、自分のペースを守り続ければそれでよいというものでもない。自分のペースを守っているつもりが、ついついだらだらとしたペースになっているのかもしれないからである。誰しも、ついつい無意識のうちに楽をしてしまうものである。楽をしていては自分のペースを失っている。
ちょうどよい伴走者がいるというのが、もっとも理想的なレース展開だろう。誰を伴奏者に選ぶかは、非常に困難を伴う。そんな困難を背負い込むくらいならば、いっそのこと伴走者などに期待せず、自分のペースを守ることだけを考えた方がよいのかもしれない。
レースというものは結局のところ結果がすべてである。目標を設定すれば、その目標を達成したかどうかという点でのみ、長距離走者は評価される。過程がいかにすばらしくても、そんなことに何の意味もない。本人がどれほどの努力をしようが、それをレースは評価してはくれない。結果が出なければそれまでなのである。その結果を背負い込めるだけの度胸さえあれば、レースにはリラックスして挑める。リラックスしていれば、自分のペースをつかめるのだろうか。難しい問題である。