本の読み方について

本をどのように読むかは自由であって、他人に強制されるものではない。ひとそれぞれに読み方もあるだろう。以下は、私の考えである。念頭においているのは、随筆、評論、学術論文である。また、本と書くが、論文等も含んで用いている。
本を読むということは、基本的に作者と対話するということである。対話なのだから、双方向のやりとりである。読書とは、決して受動的な営みではない。
作者は本という手段を使って、読者に何らかのメッセージを発信している。それに対して読者は、作者のメッセージをとらえて、それに対する自己の見解なり感覚なりを考える。その自己の見解・感覚を作者にぶつけながら本を読むことで、本はまた作者のメッセージを運んでくれる。これのくり返しである。
なお、読者の考える作者のメッセージが、実際に作者が考えていたメッセージと同じものとはかぎらない。だから、ここでいう作者とは現に存在するひとりの存在としての人間のことではなく、あくまでもその本に体現され、本によって存在を許されたものとしての作者にすぎない。本を通じた作者との対話は、決して作者本人との対話ではないのである。
しかし、本によって存在を許された作者はいったいどこにいるのだろう。結局のところ、それは読者のうちにしか存在しえない。つまり、読者のなかに作者という存在が形成され、その作者と対話を試みることが、まさに本を読むことなのである。本をひとつの契機として、自らの考え方や感覚を相対化させ、自己内対話が容易になる。
読書を通じて、多くの先人の考え・感覚・体験などは、すべて自己のなかの存在に転化し、自らの話し相手として蓄積できる。本とはまさに、見えない話し相手と話すきっかけであり、それを自己のなかに取り込むことなのである。