右側通行論(その3)

そもそも、右側通行がフォーカルポイントとして不適切なのかもしれない。どういうことかというと、「右側通行も左側通行も、それ自体から片一方を選択しなければならない必然的な理由はない」という仮定が間違っている可能性があるということである。実は、どちらかを選ぶ何らかの理由があるのかもしれない。右側通行がフォーカルポイントとして不適切ということは、つまり、左側通行を選ぶ何らかの理由があるということである。
左側通行を選ぶ理由があるとすれば、いったいなんだろうか。考えられる理由としては、大別して2つあるだろう。第1に、人間に由来する理由、第2に、場所等施設に由来する理由である。以下、順に検討しよう。
まず、人間に由来する理由であるが、このなかでも2つに分けられるだろう。先天的な条件と、後天的な条件である。先天的な条件としては、そもそも人間は左側通行を好むという議論である。よくきかれる議論として、心臓が左側にあるから、心臓を守るために左側を相手から遠ざけて歩こうとする習性がある、というものがある。こういう議論を科学的に確かめるには、社会的生活をする野生動物の習性を確かめたりしなければならないのだろうか。私にはよくわからない。
後天的な条件としては、日本の場合は、「車は左側通行、人は右側通行」という交通ルールがある。これは一見したところ、右側通行がフォーカルポイントとして適切だという印象を与える。しかし、よく考えてみれば、そうではないかもしれない。歩道のある道を考えてみると、歩道は右側にあるわけだが、そのなかで人はどちら側を歩くだろうか。左側を歩けば、横を走る車とは向きあう形になる。追い抜く形よりはその方が衝突を避けやすいのだとすれば、左側を歩くことが多いといえそうである。経験的な事実として、これは認められるのではなかろうか。
(次回に続く)