読了

土屋守章『ハーバード・ビジネス・スクールにて』中公新書(1974)ISBN:4121003519
以前読んだ阿川尚之アメリカン・ロイヤーの誕生』中公新書(1986)ISBN:4121008197ール版を期待していたのだが、全然違った。同じ中公新書とはいえ、題名も全く異なるわけで、勘違いした私が悪い。そもそも、本書の方が先に書かれたわけで、私の期待は見当違いもはなはだしい。
両書の最大の違いは著者の立場である。阿川はソニーから派遣されて留学したのだが、正規の3年コースである。アメリカのロースクール生と同じカリキュラムをこなした経験が著作になっている。それに対して土屋は、研究者として1年間の留学である。正規のコースではない。これは両書の視点の根本的な違いである。
正規のコースに学生として所属していれば、当然に利用者の視点になる。それに対して研究者の1年間の留学は、どうしても第三者の視点になる。これが説得力の差になる。利用者の視点は経験に基づく。たとえその経験がその人に特殊なものであったとしても、その経験自体は誰も否定できない。それが、記述・主張の裏にひそむ説得力につながる。一方、第三者の視点は経験には基づかない。比較の視点が中心となるが、そこには公平性・客観性が要求される。それが説得力の源泉でもある。
著者の主張・視点には納得する部分もあるが、疑問に思う箇所も多い。疑問は、公平性・客観性の欠如から生じるのだろう。たとえば、70ページから国際的センスについての議論があるが、76ページあたりから日本人の国際性の議論にうつっている。ここでの「国際性」とは何なのだろう。ビジネススクールの話だけに限れば、まだ客観性を担保しえたかもしれない。しかし、ここまで話を広げれば、もはや客観性を失い、著者の考え方が表にあらわれてはいまいか。