私には吃音がある。吃音者は吃音を隠したがるというが、なぜか私はおしゃべりになった。吃音を恐れずに、伝えたいことは伝えようとしている。小さい頃に吃音をからかわれた経験もあるが、隠そうとしなかったからか、それでいじめられたことはない。吃音もひとつの個性として、私の周囲は理解してくれているのだと思う。
だが、世の中は広い。今日、生まれてはじめて、吃音を笑われた。ゲラゲラと。吃音とはじめて接したのだろう。その人にとっては、「おもしろい」ものだったのかもしれない。通常者からみれば、吃音は奇異に聞こえるのだろうから。つい笑ってしまったのなら仕方ない。しかし、2度3度と、はては私が声を発するだけで笑うというのは、いったいどういうことか。
これはプライベートな場での話ではない。社会的地位のある人と、正式の場で話したときのことだ。目の前の人の振る舞いが、私には理解できなかった。私は、この世界に幻想を見すぎていたのかもしれない。
私は吃音をなおそうとは思わない。できるかぎりどもらずに話したいとは思っているが、どうしてもどもってしまう。ある程度は努力で防げるのだが、それで吃音がなおるものではないのだ。吃音とともに生きる以上、吃音に対する無理解・差別とは闘わなければなるまい。