裏金の本質

西武ライオンズの裏金問題はどうなってしまうのだろう。解決の方法は定まっているのだろうか。何の道筋もなく、行き当たりばったりに対処すれば、かえって悪い状態になるのではないか。関係者それぞれに思惑があるのだろうが、調査委員会にはしっかりとした方針を持ってほしい。
解決にあたっては、大きく2つの問題がある。第1に、過去の裏金について制裁を加えるのかどうかという問題。第2に、過去の裏金の事実をどこまで明るみに出すのかという問題。この両者はときに同一視される。しかし、事実は公表するが制裁はしないという手段もあれば、制裁は加えるが事実は公表しないという手段もないわけではない。すべてを明らかにして、すべてに制裁を加えることだけが解決ではないのと同様に、過去の事実にはすべて蓋をして、なかったことにしてしまうことだけが解決でもない。
ところで、本当に裏金は悪いことなのだろうか。「裏金」という言葉は、それ自体に否定的な響きを含意する。だが、なぜ裏金が悪いのか、あらためて考えてみると、そう簡単ではない。裏で金銭のやりとりがあれば、そこには不正のにおいが漂う。しかし、スカウト活動の公正とは何だろうか。
売り手市場であれば、買い手が接待攻勢をかけてくるのは、ある意味自然なのかもしれない。バブル期にあったという大手企業の青田刈り・学生接待はまさにその例だった。プロ野球のスカウトも、構造はそれと同じだろう。ただ、プロ野球には一般企業と異なり、ドラフト制度がある。その制度趣旨を失わせることが問題なのだろうか。
それとも、単なる接待ではなく、金銭そのものが渡されていたことが問題なのだろうか。金銭自体が動けば、より悪い印象を与えるとしても、それが本質ではなかろう。どこまでの接待が許され、どこからが許されないのか。社会的におのずと決まってくるのだろうが、やはり限界は難しい。もちろん、限界が難しいから何をしてもいいというものではない。