裁判所と制度形成

血縁上の親子であっても、現行法上法律上の親子ではないことがある。男性の死後に実施された凍結精子を用いた体外受精が行われた事例について、父子関係が認められず、代理母出産については、母子関係が認められなかった。これら生殖補助医療に関する最近の最高裁の判決・決定は、ともに「民法の実親子に関する現行法制は,血縁上の親子関係を基礎に置く」との前提からスタートする。しかし、たどり着いたゴールは、現行法の解釈としては、親子関係は認められないというものであった。
最高裁はともに立法による解決を求めている。民法の想定しない事態について、その是非について社会的な議論がなされているにもかかわらず、裁判所が進歩的な判断を下してしまえば、裁判所が社会の議論をリードすることになってしまう。国政の仕組みを考えれば、それが望ましくないというのは、当然ともいえる。裁判官は、国民の選挙により選ばれるわけではない。独自の正統性根拠に欠く以上、保守的な判断にとどまらざるをえないのは、制度の必然的な帰結である。
制度の形成や変革を行うのは、国会の役割である。国会には制度形成を担うだけの正統性根拠がある。しかし、現実問題として、国会に対して制度の形成や変革を要求するにはどうすればよいのだろうか。日本国憲法16条は請願権を定めているが、全く機能していない。裁判所のひとつの役割はここにあるのだと思う。
裁判所は保守的な判断しかできないとはいえ、議論を促すことはできる。裁判所の判断は、制度の形成や変革のひとつの契機になりうる。両事件は、ともに原告の敗訴に終わった。しかし、制度の形成はこれから始まる。
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だが、原告の負担を考えれば、裁判を通じた制度形成にも課題は大きい。直接的に立法過程にアプローチする方法こそが必要なのではないかと思われる。請願制度の整備や、議員立法の拡充か。