待ち望んでいたもうひとつの通知がやっときた。しかし、評価と結果とがかくも分裂すると、不必要に悩んでしまう。もちろん、それぞれの評価対象は異なるわけで、決して矛盾ではないのだが、そうはいっても評価される人間は同一なわけである。また、それぞれの評価方法は異なれど、それぞれがみている個人の能力は本来同一であるように制度設計されていたはずなのである。どこにかかる分裂が生じるのだろうか。
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風呂場とかトイレとかではなぜ妙な発想ばかり思いつくのだろう。上に書いたようなことを考えながら入浴中、タイプⅠのエラー・タイプⅡのエラーの概念をうまく使えば簡単に説明できるのではないかと気づく。しかし、この説明では当たり前のことを言っているにすぎない結論になってしまいかねない。