効率の良さと精度の高さはある程度トレードオフの関係にある。どちらも重要な事柄であるが、片方に傾斜することは危険を伴う。近代社会というものは、精度の高さに対する価値をあまりに軽視しているのではないか。効率だけでは、何か重要なものを見落としてしまうのではないか。復古主義がそれなりの地位を得るのは、効率への盲信に対する危惧感なのだろう。
効率を追求する近代社会の特徴は、分業化と交換可能性である。工程を細分化し、ひとつひとつを単純作業に貶めることによって、交換可能性を高める。その結果、職人の技術はもはや骨董品となり、誰にでもできるものとなる。その結果、作業から個性が失われる。すべてが交換可能になるのである。
効率を追求すること、それは交換可能性を高めることである。人間でさえ交換可能になってしまう。おそろしき均一化は何をもたらすのだろうか。そこからはもはや何も生れない。労力をしぼれるだけしぼりとられて、あとは捨てられるだけ。