読了

手塚治虫海のトリトン(全3巻)』秋田文庫(1994) ISBN:4253170854,ISBN:4253170862,ISBN:4253170870
この漫画を読もうと思ったきっかけは、大塚英志ササキバラ・ゴウ『教養としての<まんが・アニメ>』講談社現代新書(2001)のなかの1節である(192〜198ページ)。『海のトリトン』はサンケイ新聞連載中にテレビアニメ化されたのだが、アニメ製作に手塚はタッチしておらず、しかも、アニメは原作とかけ離れた内容だったらしい。テレビ放送後に単行本化された『海のトリトン』のカバー折り返しには、「アニメは、ぼくが作ったものではありません」という手塚のコメントがあるそうだ。(なお、テレビアニメのプロデューサーは西崎義展であり、演出(監督)がのちの富野由悠季である。)
このアニメの最終回は、衝撃的なものだったらしい。トリトンの戦いにあった正義の御旗が消滅してしまう。これはテレビアニメでは前代未聞のシーンだったそうだ。
さて、では手塚の原作はどうなのだろうか。たしかに全く異なる。トリトンの正義の御旗は消滅しない。トリトンは、自らの基盤をゆるがせる事態はあるものの、最終的には正義である。原作完結前につくられたアニメとは全く異なるようだ。テレビアニメと比較してみたいが、いまアニメをみることはできるのだろうか。
ところで、秋田文庫版には上記手塚のコメントがない。たいへん残念である。第2巻の解説は南こうせつだが、彼はテレビアニメの主題歌を作曲したらしく、そのことを書いている。そこには驚くべき記述がある。
「実はこの解説文を書くために、あらためて『海のトリトン』を読み直してみたのですが、おぼろげながら覚えていたことと、ずいぶん内容が違っていることに驚かされました。」
ササキバラの記述からすれば、これは当然のことである。何しろテレビアニメは手塚の原作とは全く異なるものなのだから。なぜ、このまま解説を載せたのだろうか。アニメの存在を読者に気づかせるが、その内容については誤解を与える表現である。編集者には何らかの意図があるのかもしれない。