雨に降られる。傘を買ったら、しばらくすると雨はおさまった。ついてない。
ところで、「雨に降られる」はいわゆる被害の受け身である。自動詞を受け身にすれば、被害の意味が強くなると思われがちであるが、よく考えれば他動詞の受け身形にもやっぱり被害の意味がありそうだ。「席をとられた」はやっぱり被害の受け身だと思うが、「とる」は他動詞なのではないか。被害というのは受け身の基本的な意味のひとつなのだろう。
しかし、そもそも、日本語に自動詞・他動詞の区別を持ち込むこと自体が意味のないことなのかもしれない。インド・ヨーロッパ語を基本とした文法体系を何も考えずにそのまま導入しても、そこでの概念が通用するとはかぎらない。日本語には、自動詞・他動詞を区別する意味はないのかもしれない。
意味もなく導入したと思われる概念の代表的なものが、「代名詞」だろう。旧来の日本語にはそもそも「代名詞」という品詞を想定する意味があったのだろうか。翻訳調あるいは英語の影響が強い文体などでは、「代名詞」として区別する意味があるのかもしれない。しかし、それにしても英文法で習う代名詞と日本語の代名詞は全く違うのではないか。
中学校の頃に、国文法という授業があったが、この教科書文法というのは、こういう点ではとんでもない代物といえる。まともな文法学者にぜひともわかりやすい日本人向け文法書を書いて欲しい。まあ、しかし、日本語の文法の本なんて、そんなに売れるとは思えないので、出版してくれないかもしれないなあ。